2011/04/30

J1第8節 アウェー C大阪戦

勝てない新潟またドロー
C大阪に今季初得点献上

サッカーJ1第8節セレッソ大阪×アルビレックス新潟は4月29日、キンチョウスタジアムで行われました。
気温はそれ程高くないものの、日が当たると暑さすら感じるこの日でしたが、セレッソのホーム初戦にもかかわらず入場者は1万人に満たず、声援も新潟がセレッソを凌駕していました。
メインスタンド貴賓席には日本ナショナルチームのザッケローに監督が陣取り、恐らくは新潟のDF酒井高徳、GK東口順昭、あるいはC大阪の乾を観察していました。

そんな中でキックオフわずか3分、新潟FWのブルーノロペスが出したパスをDF酒井高徳がつなぎ、それをまた捉えたロペスが右足を振り抜くとボールはゴール右隅に突き刺さります。
GOOOAL!! 新潟先制! C大阪 0-1 新潟

その後、両チームの攻防が続きますが新潟はセカンドボールをうまく奪います。しかし、なかなかゴールに結びつきません。

逆に前半42分、C大阪の乾に1点を返されてしまいます。C大阪 1-1 新潟

後半に入るとC大阪もシュートを仕掛け、新潟は再三再四危ない場面を迎えますがDF陣が凌ぎ見方の得点を待ちます。
新潟も惜しいチャンスを何度も迎えますが得点に結びつかず、結果は引き分けに終わりました。

次節はホームに神戸を迎えますが、後半が進むに連れ足が止まってしまうことは何としてでも避けなければなりません。
そして、引き分け続きだった昨年の轍を踏まないようにしないと上位進出はおぼつきません。「負けない」から「勝つ」へ、アルビレックス新潟の進化は続きます。

2011/04/24

J1第7節 ホーム 磐田戦

今年もホーム初戦引き分け
-昨年同様磐田と-

東日本大震災で中断していたJリーグが4月23日に再開され、J1では第7節の試合が行われました。
東北電力ビッグスワンスタジアムでは4月24日、アルビレックス新潟×ジュビロ磐田が入場者数33,662人の前、晴天の下で行われました。
中断の間にジョン・パウロが震災とその影響を忌避して契約を解除し、ブラジルへ帰国してしまうハプニングはありましたが、他の選手たちはこれまで同様、試合に臨みました。

キックオフ間もなく、PA内でチョ・ヨンチョルが倒されPKを得た新潟はそのチョ・ヨンチョルが蹴ります。
蹴ったボールはゴールマウス左上へ飛び込みGOOOAL!! 新潟先制! 新潟 1-0 磐田
まずはホームの新潟が主導権を握りました。

しかし、その後は得点できず、1-0と新潟リードで折り返しました。

後半に入ると磐田も攻撃を仕掛け、枠を捉えたシュートが数多くありましたが、ゴールには結びつかず、一方、新潟の攻撃にも決定力がなく、時間が経過しました。

すると後半24分、磐田はうまいパス回しから最後は代わって入ったばかりのジウシーニョに得点を許してしまいました。新潟 1-1 磐田

その後、新潟は何回かチャンスを作りますが決定打が出ず、結局引き分けに終わりました。

次節はアウェーで今季まだ勝ちのない(0勝1分1杯)のセレッソ大阪と対戦します。
引き分けはゴメンです。何としても勝利してほしいものです。

イースター2011

2011/04/24
ダブリンで中央集会
北京では多数のキリスト教徒が逮捕

先のブログに書いたように、アイルランド共和国の首都ダブリンの総合(中央)郵便局(GPO)前で4月24日12時(正午)からマカリース大統領(President McAleese)、ケニー首相(Taoiseach Enda Kenny)が出席して イースター蜂起95周年の集会が開かれました 。GPOに面したオコンネル通り(O'Connell Street)には約3,000人の市民が集いました。
詳細は ここ をご覧ください。

一方、中国の北京では、 イースターのミサに参加しようとしていたキリスト教徒が多数逮捕されました
もちろん、中国におけるイースターの集会は何ら政治的な意図を含んでいませんが、以前から中国政府は教会が中国共産党のコントロール下に入るよう求めています。中国キリスト教会ではこれを拒否し対立が続いていました。
共産党、共産主義というより、時の権力者の一面であろうと思われます。
残念なことです。

2011/04/21

イースター蜂起95周年

今年は4月24日

アイルランドに関心のある人なら誰しも知っている、そしてアイルランド近代史の原点とも言える1916年のイースター蜂起から今年で95年になります。

アイルランドのイングランドからの独立を目指し、1916年4月24日、武装蜂起した反英の戦士たちはダブリン総合(中央)郵便局(General Post Office=GPO)に立てこもり、「独立宣言」を発表しました。
その蜂起が失敗に終わると、イングランドは「独立宣言」に署名した7名を含む16名を次々に「処刑」しました。( ここ を参照してください。)

今年もマカリース大統領(President Mary McAleese)ケニー首相(Taoiseach Enda Kenny)を先頭に、GPO前で記念式典が行われます。
4月24日(日)正午からですが、 規模は縮小されるようです

同じ日、シン・フェイン(Sinn Féin)もダブリンで集会を行います。

2011/04/03

ふるさとの歌[11-02]キラニー

ふるさとの歌[11-02]
イングランドへ渡った恋人を想う

これまでも頻回に書いてきましたが、19世紀半ば、アイルランドはジャガイモ大飢饉に見舞われました。
そのため、多くのアイルランド人が米国やオーストラリア、そして隣国イングランドへ移住せざるを得なくなりました。イングランド領だったアイルランドにイングランドがとった政策は非情きわまりないもので、後に英国のブレア首相(Prime Minister Tony Blair)が謝罪したことも書きました。

今回のふるさとの歌はイングランドへ渡った恋人を想う曲で、英国のシャーロット・アリントン・バーナード(Charlotte Alingon Barnard)クラリベル(Claribel)というペンネームで1856年に発表した「アイルランドへ帰っておいで(Come Back To Erin)」です。
キラニー(Killarney)の歌としましたが、特にキラニーにこだわらず、当時のアイルランド情勢を思い歌ってください。

歌詞にはアイルランド語から取った単語が多く含まれ、またやや古い単語もありますので、中高生には少し難しいかもしれません。
多少の解説を加えます。

    Come Back To Erin

Come back to Erin, Mavourneen*, Mavourneen
Come back Aroon** to the land of thy*** birth,
Come with the shamrocks and springtime, Mavourneen,
And its Killarney shall ring with our mirth.
Sure, when we lent you to beautiful England,
Little we thought of the lone winter days
Little we thought of the hush of the starshine
Over the mountain, the buffs and the bays

        -Refrain-
Then, come back to Erin, Mavourneen, Mavourneen,
Come back again to the land of thy birth,
Come back to Erin, Mavourneen, Mavourneen,
And its Killarney shall ring with our mirth.

Over the green sea, Mavourneen, Mavourneen,
Long shone the white sail that bore thee*** away
Riding the white waves that fair summer mornin',
Just like a Mayflow'r**** afloat on the day
O! but my heart sank when clouds came between us,
Like a grey curtain the rain falling down,
Hid from my sad eyes the path o're the ocean,
Far, far away where my colleen***** had flown

        -Refrain-

O! may the Angels awakin' and sleepin',
Watch o're my bird in the land far away
And it's my pray'rs will consign to their keepin'
Care o' my jewel by night and by day.
When by the fireside I watch the bright embers,
Then all my heart flies to England and thee***,
Cravin' to know if my darlin' remembers,
Or if her thoughts may be crossin' to me.

        -Refrain-

*Mavourneen:アイルランド語のmo(my)+muirnín(darling)→moの後でmに軟音化がおきてmhuirnínとなり、mhは他のヨーロッパ言語のwに相当し、発音はヴです。英語ではその発音を英語転記し、mo mhuirnín→mavourneenとしたものです。大事な人、恋人等の意味です。まさに「my darling」です。
**Aroon:これもアイルランド語RiúnあるいはRúnから来ています。わが子よといった意味です。
***thy:thou thy thee=you your you
****Mayflow'r:17世紀にピルグリム・ファザーズが米大陸へ渡るときに乗った船、メイフラワー号にたとえています。
*****colleen:アイルランド語のcailínに由来し、少女の意味です。

ジャガイモ大飢饉についてはとても読みにくくて恐縮ですが、ここ を参考にしてください。この記事から他の記事へもリンクできます。

YouTube からは往年の名歌手マコーマック(John McCormack)の歌をお聴きください。