2014/09/15

どうなるスコットランド(4)ブレーブハート現象

スコットランド議会再開

2007年2月28日の記事をもとに書き直します。その当時はまだ、スコットランドで現在の政権党「スコットランド国民党(SNP)」は多数派ではありませんでした。

さて、話は急に現代に飛びます。といっても前2回に書いたような歴史が土台にはなっています。

1979年、英国でサッチャー(Margaret Thatcher)政権が発足するとサッチャー首相は急激な経済改革を行いました。そのしわ寄せの多くはスコットランドが覆うことになり、スコットランドではロンドン政府に対する不満が溜まってきます。その傾向はサッチャーに続くメージャー政権になっても換わりませんでした。しかし、1997年、エディンバラ出身のブレア(Tony Blair)が首相に就くと自体は大きく動きます。

ブレア首相は英国首相として初めてアイルランドの「ジャガイモ大飢饉* に対する英国の政策(*ジャガイイモ大飢饉:19世紀半ば、アイルランドで発生した飢饉です。 ここ  をご参照ください。)が間違っていたことをアイルランド国民に謝罪し、それが愛英和解の道を作りますが、スコットランドでも大きな出来事がおきました。

長いこと閉じられたままになっていた「スコットランド議会(Scottish Parliament)」の再開です。

1997年、スコットランドで議会再開の是非を問う国民投票が行われ、その結果、スコットランド議会の再開されることが決定されたのです。

1999年、総選挙で129人の議員が選ばれ、名実ともにスコットランド議会が再開されました。
この議会は北アイルランド議会のような「Assembly」ではなく、英国議会同様Parliament」と呼ばれます。

労働党のブレア首相はその後、米国のブッシュ(父)大統領に追随し、アフガニスタンやイラクに派兵するなどの失態を演じ2007年に退陣しました。

1997年の国民投票で議会再開派大勝利の一助となったのが、1995年に制作された伝説の英雄、ウィリアム・ウォレス(Sir William Wallece)を扱ったパラマウントの映画「ブレーブハート」だと言われています。プロモーションビデオをごらんください。

Our freedom! 力強い叫びです。


【ポイント】1997年、英国にブレア政権ができてからスコットランド議会が再開され、それがその後の独立気運につながった。

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