2014/09/28

第26節 アウェー 名古屋戦

指宿初ゴールでアウェー勝利

名古屋グランパス 0-1 アルビレックス新潟

サッカーJ1第36節、名古屋グランパス×アルビレックス新潟は9月27日、名古屋市瑞穂陸上競技場で行われました。

マスコミ的には新潟から名古屋に移籍した昨年の得点王争い2位の川又の古巣相手のゴールがみられるかどうかというところでしょう。
スタジアム、名古屋のゴール裏にはいつとなく大勢のサポーターが詰め掛けましたが、新潟のゴール裏もぎっしりと埋まり名古屋に劣らない大声援を送ります。

新潟はラファエル・シルバを初先発させ、指宿洋史と2トップです。

序盤こそ名古屋が主導権を握りましたが、新潟は積極的に攻め、田中亜土夢山本康裕、さらにはラファエルが枠内へシュートを放ちます。しかし、相手GKは元日本代表です。なかなかゴールネットを揺らすことができません。

結局、前半は両チームスコアレスで折り返しました。

後半の入りには選手交代はありません。

後半に入っても新潟は枠を外すことなくシュートを放ちます。しかし、相手にクリアされたりGKにキャッチされたりで得点が奪えません。

そんな中、前半14分、よく動き回る松原健が右サイドからクロスを入れると、相手DFに当たってコースが変わり、そこに詰めていた指宿がシュート。これが決まってGOOOAL!!! アウェーの新潟が先制しました。名古屋 0-1 新潟

今季はホームでなかなか勝ちきれていない名古屋は反撃しますが、新潟は得点を許しません。

後半34分、それまでとにかくよく動き回り、得点も演出した松原に代わって川口尚紀を投入します。

その少し後でした。
後半37分、相手選手がこの日2枚目のイェローカードを貰い退場します。
しかし新潟は油断することなくしっかりと試合を運びます。

そのすぐ後の後半38分、新潟は山本に代わって小泉慶を入れます。

まもなくアディショナルタイムに入ろうとする後半43分、新潟はゴール前に攻め込まれ危ない場面を作りますが、最後は相手選手のGK守田達弥に対するファールで失点を免れます。

そしてアディショナルタイムに入った後半50分、新潟は先発のラファエルを下げ岡本英也を入れますが、間もなく試合終了。新潟が苦手とするアウェーの名古屋に完封勝利をあげました。

次節は新潟がホームで得意とする川崎が相手ですが、油断することなく、しっかり2連勝を遂げてほしいものです。

2014/09/23

J1第25節 ホーム 浦和戦

攻めきれず零敗

アルビレックス新潟 0-2 浦和レッドダイヤモンズ

サッカーJ1、アルビレックス新潟×浦和レッドダイヤモンズは9月23日、デンカビッグスワンスタジアムで行われました。

前節アウェーで完敗を喫した新潟ですが、この試合も相手の守備に合わせ大野和成大井健太郎舞行龍ジェームズの3バックで臨みました。

序盤、試合は新潟のペースで進み、田中亜土夢小林裕紀指宿洋史とシュートを放ちますが、ゴールできません。こんな時はえてして数少ないチャンスを生かした劣勢のチームが先手をとるものです。

この試合でもそうでした。
前半22分、まさにワンチャンスを生かされ先制されてしまいます。新潟 0-1 浦和

その後も新潟は指宿レオ・シルバと攻撃の芽をつかみかけますが、得点できず、1点ビハインドで折り返しました。

後半も立ち上がりは新潟がチャンスを作りましたが、後半5分、ゴール至近距離からのシュートを決められ追加点を奪われます。新潟 0-2 浦和

その後も試合展開としては新潟ペースでしたが、最後の詰めがうまくいかず、得点を奪うことができませんでした。

この試合、ラファエル・シルバが後半20分から小林慶に代わって出場し、よい動きを見せていました。もう少しチームに馴染むと期待できそうです。

次節はアウェーで名古屋と対戦します。しばらくアウェーでは勝てていない相手ですが、順位を考えると当面のライバルです。
しっかり勝ち点3を持ち帰ってほしいと思います。

2014/09/21

J1第24節 アウェー 広島戦

ゴール遠く零敗

サンフレッチェ広島 2-0 アルビレックス新潟

サッカーJ1第24節、サンフレッチェ広島×アルビレックス新潟は9月20日、エディオンスタジアム広島で行われました。

前節、雨の中でなんとか仙台に競り勝った新潟はなんとか連勝したいところです。若いFW鈴木武蔵はインチョンで行われているアジア大会に招集されているため攻撃力にやや不安がありますが、この日はラファエル・シルバが初めてベンチ入りし、出場を狙います。

序盤は新潟が試合を支配し、可能性を感じさせますが広島は徐々に新潟の展開に馴染み、前半23分、先制を許してしまいます。広島 1-0 新潟

先取点を奪われたものの、新潟は積極的に攻撃します。しかし、ボールを奪われる場面も目立つようになり、追いつくことができません。

前半は1点リードされ折り返しました。

後半は一転、広島ペースになります。

新潟は後半14分、岡本英也に代えて田中達也を入れなんとか追いつこうとしますが、逆に後半18分、新潟ゴール前の混戦から失点してしまいます。広島 2-0 新潟

その直後の後半19分にはDFの川口尚紀を下げてラファエル・シルバを入れて反撃を試みますがゴールは遠く、新潟は敵地で完敗しました。

次節は苦手の浦和戦です。ホームですし、なんとしてでも勝ち点3を奪ってほしいと思います。

2014/09/19

ユーロ2020開催都市決定

ダブリン4試合、グラスゴー4試合

UEFAは本日昼(日本時間夜)、UEFA60周年を記念してヨーロッパ各都市共同開催されることが決まっていたユーロ2020の開催都市を発表しました。
全容は ここ をご覧ください。

決定された13都市は、ロンドンバクーブリュッセルコペンハーゲンミュンヒェンブダペストローマアムステルダムブクレシュチサンクト・ペテルブルクビルバオ、そしてダブリングラスゴーです。

決勝と準決勝はロンドンで、準々決勝はバクーミュンヒェンローマサンクト・ペテルブルクで行われます。

ダブリングラスゴーではそれぞれ、グループ予選の3試合とラウンド16の1試合が行われます。

ユーロ2016グループ予選が始まったばかりですが、次の開催に向けて着々と道が作られています。

スコットランド独立ならず

Move forward together

Should Scotland be an independent country ?

YES:1,617,989(44.70%)
  NO:2,001,926(55.30%)

最後のアバディーンシャーの票が開き、スコットランドの独立を問う国民投票の結果がまとまりました。
スコットランドは英国に留まることになりました。

キャンペーンスタート時点では劣勢だった独立賛成派が巻き返し、世論調査で一度は賛否逆転しましたが、その後の反対派各党の全力をあげての行動が奏功したと思われます。
また、住民の多くにとって、明日の生活を考えた時、不安な、不安定な要素が多くなると思われる「変革」より現状維持を望んだのではないかとも思われます。

いずれ、さまざまなアナリストのコメントが公表されるでしょう。

今後、キャメロン英国首相が約束した「スコットランドへの大幅な権限移譲」がどこまで実現されるのか、注目したいと思います。
なにしろ英国政府は二枚舌ですから。

尚、日本時間18時から、スコットランド国民党(SNP)サモンド党首の会見が予定されています。

2014/09/16

どうなるスコットランド(5)スコットランドの花

   誇り高きスコットランドの花

2007年2月11日の記事の抜粋です。これまでのおさらいでもあります。

スコットランドは政治的な「国」というレベルではイギリス(連合王国)の一部であり、独立国(independent country)ではありませんが、サッカーの試合開始前に歌われる国歌は決して連合王国の国歌である「God Save The Queen」ではありません。このことはサッカー好きの方ならよくご存じだと思います。

スコットランドは、ウェールズ、北アイルランドなどとともに、一つの国家(nation)として、独立したチームとそれに伴う国旗、国歌を有しています。
現在歌われているスコットランド国歌(unofficial national anthem)は「Flower Of Scotland(スコットランドの花)」と言い、1966年、フォークバンドのコリーズ(The Corries)のメンバーだったロイ・ウィリアムソン(Roy Williamson)によって作られました。(ロイはその後、病死しています。)

おお、スコットランドの花よ、我々はいつ再び君のような者に出会うだろう?・・・(中略)・・・誇り高きエドワード軍に対峙し、出直してこい!と追い返した君のような者に

13世紀のスコットランドはイングランドに支配され、イングランドと、それと手を組んだ地元の領主たちに完全に牛耳られていました。
それらに立ち向かったのが、伝説の英雄ウィリアム・ウォレス」で、1995年に彼を主人公にした映画「ブレーブハート」(メル・ギブソン監督 / 主演)が作られ、大ヒットし、アカデミー賞の5部門を受賞したことは前回書きました。

そのウィリアム・ウォレスが虐殺された後、スコットランドの王位についたロバート・ザ・ブルースは、14世紀に入った1314年、「バノックバーンの戦い」でイングランド王、エドワード2世の軍隊を撃破します。
Flower Of Scotland (ゲール語:Flùir na h-Alba」はこの時にみせたスコティシュの心意気を歌ったもので、明らかに「反イングランド」の思いが込められています。

スコットランドはいろいろな面でイングランドと異なります。
実際にスコットランドを訪れてみるとよくわかりますが、警官の制服、紙幣、学校の呼び方、etc.etc...
パブでは、日本で言えば流しのおじさんが奏でるアコーディオンに合わせ、みんなで肩を組んで「反英愛国歌」を歌ったりもします。

スコットランドでは独立の気運も強く、「スコットランド国民党(Scottish National Party~SNP)」も力を持っています。(現在はスコットランドの政権党です。)
スコットランドが独立するのがいいのかどうかはわかりませんし、そもそもそれはスコットランドの人たちが決めることでしょうが、スコットランドがイングランドと違うことは確かなようです。

コリーズのひとり、ロニー・ブラウン(Ronnie Browne)がサッカー、スコットランドナショナルチームのサポーターと歌うFlower of Scotlandです。
 
2009年10月10日、横浜国際競技場(日産スタジアム)でサッカー日本代表×スコットランド代表の試合があり、私はスコットランドサポーター席(ゴール裏)でスコットランドの人たちと一緒に "観戦?" しました。
スコットランドサポーターはタータン・アーミー(Tartan Army)と呼ばれます。
バグパイパー、タータンチェックのおじさん、ウィリアム・ウォレスのTシャツを着たお兄さんなど、各地から集まったタータン・アーミーの心意気を感じました。
ゴール裏にこだました「Flower of Scotland」がかなりスローテンポで、ピッチ上の歌手が歌い終わってもまだ続いていたというのはご愛嬌です。

スコットランド独立を問う国民投票が2日後に迫りました。
日本では(そして世界的にも)円がどうなるか、ポンド、ユーロ、ドルがどうなるか、株価がどうなるかなど経済面からだけ語られることの多いこの問題ですが、経済中心の考えから、歴史を振り返りつつ少し見方を変えるとより理解しやすいのにとも思います。

賛否拮抗する現状に焦る英国政府は王室さえも利用し、甘言を並べ、"賛成派" の切り崩しをはかろうとしています。英国政府が国際社会でも使ってきた常套手段です。
また、経済界は「本社をスコットランドからイングランドへ撤退するぞ。」と脅しをかけています。

部外者の私としてはエリザベス女王の言葉「Well, I hope people will think very carefully about the future.(人々が将来について慎重に考えることを望みます。)」をそのまま受け止め、スコットランドの人たちが「賢明な判断」をすることとを祈ります。

【ポイント】スコットランドは歴史、文化、制度などイングランド中心の英国とは異なっている。国民投票ではスコットランドが核兵器を廃し、北欧型の福祉国家を目指すのか、今またアメリカに追随し戦争の道をひた走ろうとする連合王国に埋没したままでよいのかが問われている。

私はスコットランドへは2回行き、それぞれ1週間ほど滞在したことはありますが、住んだことはありません。行った時の経験や記録、記憶、スコットランドやイングランドの友人たちとの議論、いくつかの "カルチャーセンター" での学びをもとに、BBCその他のテレビ・ラジオ番組や以下のような書籍を参考にして書きました。どれも専門書ではありませんので、素人にはわかり易いと思います。関心を持たれたら手にしてみてください。
1.Fry PS: History of the world, Dorling Kindersley, London, 2007
オーソドックスな世界史のテキストで、日本の歴史教科書、参考書と比べてもわかりやすく、日本の教育で偏りがちな日本、中国、ヨーロッパ、アメリカだけでなく、アフリカ、東南アジア、西南アジア、オセアニアを含め幅広く歴史を俯瞰できます。深みはそれほどありませんが、イラストも豊富で読みやすい本です。

2.Steel T: Scotland's story: a new perspective, Collins, London, 1984
英国の民間テレビITV(チャンネル4)で1984年に放送されたシリーズ番組のテキスト版です。インデックスを含め358ページのハードバックで、もちろん放送内容よりずっと詳細で、図版も豊富です。私が最も参考にした書籍です。いささか古い本ですが、今でも十分に参考になります。スコットランドの人たちにさえ改めて読んでいただきたい内容です。絶版ですがアマゾン等で買えそうです。ペーパーバックもあるようです。

3.フランク・レンウィック(小林章夫 訳):とびきり哀しいスコットランド史,筑摩書房,東京,2004
「Renwick F: Scotland bloody Scotland」の訳本で、ちくま文庫の一冊です。独特の歴史観で時に笑いながら読むことのできる、しかししっかりした内容の優れた文庫本です。

4.佐藤猛郎,岩田託子,富田理恵:図説スコットランド,河出書房新社,東京,2005
「ふくろうの本」シリーズの一冊です。スコットランドの観光、地理から始まり、歴史に及び、カラー写真もたくさんある、特にスコットランドに最初に取り掛かるにはよい本です。

2014/09/15

どうなるスコットランド(4)ブレーブハート現象

スコットランド議会再開

2007年2月28日の記事をもとに書き直します。その当時はまだ、スコットランドで現在の政権党「スコットランド国民党(SNP)」は多数派ではありませんでした。

さて、話は急に現代に飛びます。といっても前2回に書いたような歴史が土台にはなっています。

1979年、英国でサッチャー(Margaret Thatcher)政権が発足するとサッチャー首相は急激な経済改革を行いました。そのしわ寄せの多くはスコットランドが覆うことになり、スコットランドではロンドン政府に対する不満が溜まってきます。その傾向はサッチャーに続くメージャー政権になっても換わりませんでした。しかし、1997年、エディンバラ出身のブレア(Tony Blair)が首相に就くと自体は大きく動きます。

ブレア首相は英国首相として初めてアイルランドの「ジャガイモ大飢饉* に対する英国の政策(*ジャガイイモ大飢饉:19世紀半ば、アイルランドで発生した飢饉です。 ここ  をご参照ください。)が間違っていたことをアイルランド国民に謝罪し、それが愛英和解の道を作りますが、スコットランドでも大きな出来事がおきました。

長いこと閉じられたままになっていた「スコットランド議会(Scottish Parliament)」の再開です。

1997年、スコットランドで議会再開の是非を問う国民投票が行われ、その結果、スコットランド議会の再開されることが決定されたのです。

1999年、総選挙で129人の議員が選ばれ、名実ともにスコットランド議会が再開されました。
この議会は北アイルランド議会のような「Assembly」ではなく、英国議会同様Parliament」と呼ばれます。

労働党のブレア首相はその後、米国のブッシュ(父)大統領に追随し、アフガニスタンやイラクに派兵するなどの失態を演じ2007年に退陣しました。

1997年の国民投票で議会再開派大勝利の一助となったのが、1995年に制作された伝説の英雄、ウィリアム・ウォレス(Sir William Wallece)を扱ったパラマウントの映画「ブレーブハート」だと言われています。プロモーションビデオをごらんください。

Our freedom! 力強い叫びです。


【ポイント】1997年、英国にブレア政権ができてからスコットランド議会が再開され、それがその後の独立気運につながった。

2014/09/14

どうなるスコットランド(3)屈辱の1707年

ジェームズを守れ ジャコバイトの反乱

2007年9月7日および9月17日の記事を併合し改変しました。スコットランドの思いを歌でたどります。

<スコットランドの独立>

前回に書いたように、1314年のバノックバーンの戦いでイングランド軍を撃退したスコットランドは1320年のアーブロース宣言を経て独立します。

その後、スコットランドの統治はブルース王家からステュアート王家へと移り、1567年に王位に就いたジェームズ6世1603年からジェームズ1世としてイングランドをも統治しました。
国王は1625年、ジェームス6世からチャールズ1世に移り、1649年から1660年のクロムウェルによる一時的な共和制を経てチャールズ2世に受け継がれました。

<名誉革命からスコットランド-イングランドの統合へ>

1685年、国王はチャールズ2世からジェームズ7世(イングランドのジェームズ2世)にバトンタッチされましたが、1688年、ジェームズ7世の娘、メアリーと結婚したオランダ統領のウィリアム3世(プロテスタント)を王位につかせ、ジェームズ7世(カトリック)を追い出すという「名誉革命」が起きます。

1690年、ジェームズ7世軍とウィリアム3世率いるイングランド・オランダ連合軍がアイルランドのボイン川で戦闘を行いますが、圧倒的な兵力を誇るウィリアム軍が勝利します。

1702年に統治がアン王女に移ると1707年にはスコットランドがイングランドに併合されました。この年をもって、スコットランド議会は封印されるとともに、現代に至るまでスコットランドはイングランドの支配下に置かれることになります。300年前(2007年に書いた記事ですので。)のことでした。

1707年はスコットランドにとって屈辱の年です。

ジャコバイトの反乱>

イングランドとスコットランドが併合し、大ブリテン王国(Kingdom of Great Britain)を作ってみたものの、イングランドがスコットランドにその恩恵を与えるはずがなく、スコットランドの「独立派」はジェームズを支持した運動をおこします。
彼らはジャコバイトと呼ばれ、特に1708年から1745年にかけて頻繁に蜂起します。
特に1745年のそれは、ジャコバイトの最後の抵抗でした。
フランスと手を組んだジャコバイトはジェームズ7世の孫、チャールズ・エドワード・ステュアート(Charles Edward Stewart)チャールズ王子)を擁し、イングランドに挑みます。

彼らの一軍は1745年7月にスコットランド北部で蜂起し、9月17日にはエディンバラ(Edinburgh)、さらにイングランドのダービー(Derby)にまで攻め込みましたが、イングランド内での支持を得られず、結果として勝利することはできませんでした。

諦めないチャールズ王子は翌1746年4月、ネス湖近くのカローデン(Culloden)で政府軍に挑みます。カローデンの戦いです。
しかし、この時になると、正に多勢に無勢でした。
カンバーランド公爵(Duke of Cumberland=Augustus)率いる政府軍の半分以下の兵力では勝てるわけがなく、戦いは短時間(1時間とも言われています。)で終わり、王子軍は惨敗します。
この後、ハイランドではキルトとタータンを身につけることや氏族(クラン)が集うことが禁止されます。
ステュアート家の終焉でした。

<スカイ・ボート・ソング>

チャールズ王子フローラ・マクドナルド(Flora MacDonald)という協力者を得て女装し、ベティー・バーク(Betty Burke)というフローラの召使いということにしてスコットランド西部のスカイ(Skye)島へ逃げます。端整な顔立ちの王子だったからできたのかもしれません。
その時の様子を歌ったのがスカイ・ボート・ソング(Skye Boat Song)です。

Skye Boat Song

         (Refrain)
  Speed bonnie boat, like a bird on the wing,
     Onward, the sailors cry
     Carry the lad that's born to be King
     Over the sea to Skye.


Loud the winds howl, loud the waves roar,
Thunder clouds rend the air;
Baffled our foe's stand on the shore
Follow they will not dare.

                  (Refrain)

Though the waves leap, soft shall ye sleep
Ocean's a royal bed
Rocked in the deep, Flora will keep
Watch by your weary head


         (Refrain)

Many's the lad fought on that day
Well the claymore Could wield
When the night came, silently lay
Dead on Culloden's field

         (Refrain)

Burned are our homes, exile and death
Scatter the loyal men
Yet, e'er the sword cool in the sheath,
Charlie will come again.

                  (Refrain)

リフレインに出てくる「the lad that's born to be King 」はもちろんチャールズのことです。
第2節の Flora はフローラ・マクドナルド、第4節のCharlie はチャールズの愛称です。


チャールズ王子はその後フランスへ渡り結婚もしますが、アルコール依存症になり、晩年は惨めだったようです。
67歳で亡くなる時はローマにいました。

<ロッホ・ロウモンド>

チャールズが率いた兵士の一人は捕らわれの身となり、牢獄にとじこめられます。
この時、恋人を思い歌ったのがロッホ・ロウモンドLoch Lomond)とも言われています。
Lochch はエスペラントの ĥ、ドイツ語の ch 、スペイン語の j 、ロシア語の x と同じ発音です。)
ロッホ・ロウモンドの詩を載せておきます。ジャコバイトの無念さを偲びお聴きください。
スコットランド方言がたくさん使われていますので、対応する英語を書いておきました。


        Loch Lomond                                     loch: lake

By yon bonnie banks, and by yon bonnie braes,  yon: the;   bonnie: beautiful; brae: hill
Where the sun shines bright on Loch Lomond,
Where me and my true love were ever wont to gae,    me: I;    gae: go
On the bonnie, bonnie banks o' Loch Lomond.           o': of
 
          =Refrain=
Oh ye'll tak the high road and I'll tak the low road, ye: you;   ye'll: you'll;   tak: take
And I'll be in Scotland afore ye;                                  afore: before
But me and my true love will never meet again
On the bonnie, bonnie banks o' Loch Lomond.
 
'Twas then that we parted in yon shady glen       glen: valley
On the steep, steep side o' Ben Lomond,                      ben: mountain
Where in purple hue the Hielan' hills we view,      Hielan': Highland
And the moon coming out in the gloaming.
 
         =Refrain=
 
The wee birdie sang and the wild flowers spring,           wee: little, small
And in sunshine the waters are sleeping,
But the broken heart it kens nae second Spring again,    ken: know* ;   nae: not**
Tho' the waeful may cease frae their greeting.               frae: from
        
         =Refrain=

*ken-kent-kent:know-knew-known
**kens nae second Spring・・・:knows no second Spring・・・



【ポイント】スコットランド議会が停止された1707年はスコットランドにとって屈辱の年として歴史に刻まれることになった。(奇しくも300年後の2007年、スコットランド議会でスコットランド国民党が第1党になった。)

2014/09/13

どうなるスコットランド(2)700年前のできごと

イングランドの支配を断ち切る


2007年6月22日の記事の焼き直しです。一部、加筆、訂正しています。

13世紀の末、 スコットランドイングランドの支配下にあり、スコットランドの人々はイングランドと、イングランドと手を組んだ一部の領主の圧制に苦しめられていました。

1297年、伝説の英雄、ウィリアム・ウォレス(Sir William Wallece)はスコットランドの民衆を率い、イングランドに戦いを挑み、特に同年9月にはスターリング橋(Stirling Bridge)の戦いでイングランド軍を徹底的に痛めつけました。
しかし、次の年、フォルカーク(Falkirk)の戦いでイングランド軍に敗れます。

ウォレスの軍隊はその後もイングランドと戦い続けますが、14世紀に入った1305年、ウォレスは遂にイングランド軍に捕らえられ、八つ裂きの刑に処せられたのです。
それを描いた映画が「ブレーブハート」で、これについては後日触れようと思います。

それからもスコットランドはイングランドの支配に喘いでいました。
1306年、スコットランドの王位についたロバート・ザ・ブルース(Robert the Bruce)はイングランド王のエドワードⅠ世の軍に戦いを挑みましたが、大敗しました。
イングランド王は、この後、エドワードⅡ世へと代わります。

1314年6月、そのエドワードⅡ世が擁する、総勢2万人とも言われるイングランド大軍がスコットランドに攻め入り、小都市スターリング近郊にあるバノックバーン(Bannackburn)でスコットランド軍と対峙しました。(イングランド軍の勢力に関して、確たる証拠はないようです。)

6月23日には攻め込んだイングランド軍にスコットランド軍が背後から襲い掛かり(ブレーブハートに見られるウィリアム・ウォレスの戦い方と類似)優位に進めましたが、イングランド軍は数的優位な状況にあり、反撃しました。
スコットランドは援軍を送るとともに、全軍のフォーメーションを変え、左右のサイドを広げます。
イングランド軍はシステム変更にすぐには対応できず、中央が手薄になったと錯覚して突破を試みますが、スコットランド軍の両サイドは強力で、それを見たイングランド軍は一旦引き下がり、その日は両軍とも戦闘を終えました。
翌24日、スコットランド軍は槍部隊を主体にイングランド軍を待ちうけました。
イングランド軍は引いて守るスコットランド軍に多勢を持って一挙に襲い掛かりましたが、穴や障害物等に足を取られ、力が分散してしまいます。(これもブレーブハートのシーンと類似です。)
結局、イングランド軍は要人に戦死者や捕虜が出て、退却せざるをえなくなり、スコットランド軍の勝利で終了しました。
バノックバーンの戦い
1314年6月24日のことです。

この事件は、それまで教皇から破門されていたロバート・ザ・ブルースが、それを回復し、ブルースがスコットランドの国王であることを認知してもらう必要から行われた1320年アーブロース(Arbroath)宣言、そして、それに基づくスコットランドの独立へとつながったのです。

スコットランドの独立は1707年スコットランド-イングランド合併まで続きました。
18世紀後半になってこの出来事を歌ったのがロバート・バーンズで、Scots Wha' Hæ ( Scots Who Have )というタイトルで知られています。

Scots, wha' hæ wi' Wallace bled, ウォレスとともに血をながしたスコットランド人よ、 
Scots wham Bruce has aften led,   ブルースが指揮したスコットランド人よ、
Welcome tæ yer gory bed,                ようこそ血染めの床へ 
Or tæ Victorie !                                  すなわち勝利へ!                      

Now's the day, and now's the hour;      今はその日、今はその時
See the front o' battle lour,                   前戦を見よ  
See approach proud Edward's pow'r    誇り高きエドワードの権力に近づいて見よ
Chains and slaverie!                           鎖と奴隷を !

(wha'=who; hæ(hae)=have; wi'=with; wham=whom; aften=often; tæ(tae)=to; yer=your; Victorie=Victory; o'=of; pow'r=power; slaverie=slavery)



【ポイント】今からちょうど700年前、スコットランドはバノックバーンの戦いでイングランドに勝利し独立につなげた。2014年はスコットランドにとって「節目」の年である。

J1第23節 ホーム 仙台戦

レオ弾を守る

アルビレックス新潟 1-0 ベガルタ仙台

サッカーJ1第23節、アルビレックス新潟×ベガルタ仙台は9月13日、デンカビッグスワンスタジアムで行われました。

正直のところ、現在、スコットランド情勢が気になり、サッカーにのめりこめない私は、結果だけ書きます。

後半32分、レオ・シルバのFKが直接ネットを揺らしGOOOAL!!! 新潟 1-0 仙台

この1点を守りきった新潟が勝利しました。

それにしても、シュート数は多いものの、なかなか枠を捉えられない新潟という感じでした。

2014/09/12

どうなるスコットランド(1)スコットランド議会

最近、日本の新聞紙上にもスコットランド独立を問う国民投票の記事がよく現れるようになりました。
国民投票は9月18日に行われます。

そこで、今日から5日連続でこのブログでもスコットランド独立に関連する過去の記事を改めて紹介(再掲)しつつ、スコットランド独立について考えていきたいと思います。
各記事の最後に【ポイント】を書いておきます。
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第1回はまず、直近の総選挙です。

2011年5月7日の記事の抜粋です。

全議席確定
スコットランド議会

5月5日に行われたスコットランド議会(Scottish Parliament)議員選挙で全129議席が確定しました。

スコットランド国民党(Scottish National Party) 69←46
労働党(Labour Party)                 37←44
保守党(Conservatives)                15←20
自由民主党(Liberal Democratic Party)       5←17
緑の党(Green Party)                   2←2
無所属(Independent)                  1←0

数値的に見ればスコットランド国民党(SNP)労働党の票を切り崩して躍進したようです。
これまで単独過半数を得られず、さりとて他のどの党とも連立を組めず、緑の党(GP)の閣外協力を得てかろうじて政権を維持してきましたが、今回は単独過半数を握り、議会運営はこれまでより楽になると思われます。
スコットランドの英国からの独立を指向するSNPですが、当面はスコットランドの主体性を確立していくことから始めるのでしょう。

-この後にウェールズ、北アイルランド議会の結果も書いています。-

【ポイント】スコットランド独立を掲げるスコットランド国民党がスコットランド議会議員選挙で単独過半数を制し単独政権を樹立した。
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これを受けたのが2012年10月16日の記事です。

独立への道は?

いささか旧聞になりますが、英国BBC放送によれば10月15日、スコットランドのサモンド首相(First Minister Alex Salmond)と英国のキャメロン首相(Prime Minister David Cameron)は2014年秋にスコットランドの英国からの独立を問う国民投票を行うことに同意しました。

サモンド首相スコットランド議会(Parliament)第一党のスコットランド国民党(Scottish National Party~SNP)に所属し、この党は英国からの独立を党是としています。

地下資源を武器に強気のスコットランドですが、もし国民投票で独立が否定された場合の影響は小さくありません。スコットランド政府にとって、独立への世論作りは急務です。そして、もし独立賛成が多数の場合、独立の時期、イングランドに住むスコットランド人の処遇等、多くの課題を抱えることになります。

どちらがよいのか当事者でない私にはよくわかりませんが、古来、欺瞞と略奪を繰り返してきたイングランドの呪縛から早く解き放たれたいと思う気持ちは理解できます。

いずれにせよ、平和裏に進められることを願います。

【ポイント】スコットランド、英国両首相が2014年にスコットランドでスコットランドの独立を問う国民投票を行うことに同意した。

次回は旧ブログ(MSN→WordPress)からスコットランドの歴史を振り返ってみます。

2014/09/10

ユーロ2016グループ予選9月9日の結果

ウェールズ逆転勝利
- ベイル弾2発! -

アンドラ 1-2 ウェールズ

ウェールズはチャーチラムジーの2トップでホームのアンドラに挑みました。
試合は開始早々の6分、アンドラがPKを得てこれが決まりウェールズは先制されました。アンドラ 1-0 ウェールズ

しかし前半22分、ウェールズはデイヴィスのクロスに合わせたベイルがヘディングシュート。これが決まってGOOOAL!!! ウェールズが同点に追いつきました。アンドラ 1-1 ウェールズ
その後、ウェールズが攻める展開になりますが、アンドラはしっかり守り同点のまま後半勝負になりました。

後半もウェールズは守りの堅いアンドラをなかなか崩せません。
膠着状態が続く中、後半36分、右サイドでFKを得たウェールズのキッカーはベイル
左足で蹴ったボールがそのままゴールに吸い込まれGOOOAL!!! ウェールズ勝ち越し! アンドラ 1-2 ウェールズ

ベイルの2得点でウェールズが逆転勝利しました。

予選グループBではイスラエル対ベルギーの試合がイスラエルの政情が不安定であるため、UEFAは当面イスラエル国内での国際試合を行わないことを決め、来年の3月31に延期されています。

グループBその他の試合結果

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ 1-2 キプロス
イスラエル - ベルギー → 2015年3月31日に延期

2014/09/08

ユーロ2016グループ予選9月7日の結果

アイルランド辛勝
- マギーディーが2得点 -

グルジア 1-2 アイルランド

いよいよ、ユーロ2016フランス大会のグループ予選が始まりました。

アイルランドはロビー・キーンのワントップでホームのグルジアに挑みました。
序盤は激しいボールの奪い合いで攻守が入れ替わります。
前半23分、アイルランドゴール前ががら空きになりシュートされますが、それをクリア。逆に攻め込み、右前線でマカーシーがセンタリング。キーンがシャドーになり、ゴール左からマギーディーがシュート。これが決まってGOOOAL!!!アイルランドが先制しました。グルジア 0-1 アイルランド
ホームのグルジアはここで巻き返し、前半38分、後方からのロングフィードに反応した選手に右のPA外側からミドルシュートを放たれ、同点に追いつかれました。グルジア 1-1 アイルランド

後半になると、グルジアにボールを回されるシーンが多くなり、連携がいまひとつうまくいかないアイルランドはなかなかボールを保持できません。
前線からは中央にパスを送るのですが、ワンパターンで、しっかり守備を固めたグルジアのゴール前を突破できず、このまま引き分けがせいぜいかと思われました。
しかし、後半終了間際、グルジアゴール前の混戦からコールマンのパスを受けたマギーディーがライナーのシュート。これがゴールネットに突き刺さりGOOOAL!!! アイルランド勝ち越し! グルジア 1-2 アイルランド

試合はアディショナルタイム3分も消化し、タイムアップ。
アイルランドはなんとか勝利を手にし、まずは上々の発進となりました。

これからの試合はドイツやポーランドといったより強豪なチームと対戦します。今のままでは心もとなく、ゴール前での工夫がもう少し必要と思われます。

スコットランド善戦も惜敗

ドイツ 2-1 スコットランド

ワールドチャンピオン、ドイツに挑むスコットランドはネイスミスのワントップです。
最初にチャンスをつかんだのはスコットランドでした。
前半14分、相手ゴール前の混戦から最後はシュートまでいきましたが、先制機を逃します。
すると前半18分、ドイツはミュラーのヘディングで先制しました。ドイツ 1-0 スコットランド
その後もドイツの攻める場面が続きますが、スコットランドは全員で防ぎ、追加点を許しません。得にGKマーシャルは再三にわたり最後の砦として働きます。
前半はドイツが1点リードして折り返しました。

後半に入るとスコットランドも攻めこみます。
そして後半21分、ハーフライン付近でボールを受けたアニァが左サイドを独走し、最後は名手ノイアーの位置をよく見てシュート。ボールはノイアーの手をかいくぐりGOOOAL!!!
スコットランドはよい時間帯に同点に追いつきました。ドイツ 1-1 スコットランド

ホームのドイツはこのままではすみません。

この後、後半25分、スコットランドゴール前の混戦から最後は再びミュラーがシュート。これが決まってドイツが追加点を奪いました。ドイツ 2-1 スコットランド

それでも諦めないスコットランドは幾度となくドイツゴール前に迫りますが、得点を奪えず、1点差で敗れました。

ただ、この試合での戦いを続ければ、この後の試合は十分期待できると思います。

グループD その他の結果

ジブラルタル 0-7 ポーランド

北アイルランド逆転勝利!
- エース ラファティー2得点に絡む ー

ハンガリー 1-2 北アイルランド

北アイルランドはエースラファティのワントップで初戦に臨みました。
前半は両チーム無得点で折り返しましたが、後半30分、ハンガリーが先制します。ハンガリー 1-0 北アイルランド
しかし終盤の後半36分、相手ゴール前でラファティのパスを受けたマッギンが右足を一閃。これが決まってGOOOAL!!! 北アイルランドが同点に追いつきました。ハンガリー 1-1 北アイルランド
なんとか引き分けで終わると思われた後半44分、今度はラファティーがゴール中央から右足でシュート。これが決まってGOOOAL!!! 北アイルランド逆転! ハンガリー 1-2 北アイルランド

試合はそのまま終了し、北アイルランドは勝利発進です。

グループF その他の結果

フェロー諸島 1-3 フィンランド
ギリシャ 0-1 ルーマニア

2014/09/05

間もなく開幕ユーロ予選

UEFAユーロ2016フランス大会の予選が間もなく始まります。
グループ予選の振り分けは既に決まっていて、アイルランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの日程と対戦相手は以下の通りです。
ジブラルタルが初参加です。

グループD アイルランド
 9月  7日 グルジア(A)
10月11日 ジブラルタル(H)
10月14日 ドイツ(A)
11月14日 スコットランド(A)
<2015年>
  3月29日 ポーランド(H)
 6月13日 スコットランド(H)
 9月 4日 ジブラルタル(A)
 9月  7日 グルジア(H)
10月  8日 ドイツ(H)
10月11日 ポーランド(A)

グループD スコットランド
  9月  7日 ドイツ(A)
10月11日 グルジア(H)
10月14日 ポーランド(A)
11月14日 アイルランド(H)
<2015年>
 3月29日 ジブラルタル(H)
 6月13日 アイルランド(A)
 9月 4日 グルジア(A)
 9月 7日 ドイツ(H)
10月 8日 ポーランド(H)
10月11日 ジブラルタル(A)

グループB ウェールズ
  9月9日 アンドラ(A)
10月10日 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ(H)
10月13日 キプロス(H)
11月16日 ベルギー(A)
<2015年>
 3月28日 イスラエル(A)
 6月12日 ベルギー(H)
 9月  3日 キプロス(A)
 9月 6日 イスラエル(H)
10月10日 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ(A)
10月13日 アンドラ(H)

グループF 北アイルランド
  9月7日 ハンガリー(A)
10月11日 フェロー諸島(H)
10月14日 ギリシャ(A)
11月14日 ルーマニア(A)
<2015年>
 3月29日 フィンランド(H)
 6月13日 ルーマニア(H)
 9月  4日 フェロー諸島(A)
 9月  7日 ハンガリー(H)
10月  8日 ギリシャ(H)
10月11日 フィンランド(A)

グループはAからIまであり、グループIだけが5チームで他は6チームです。

アイルランドはなぜかドイツと同じグループになることが多いようです。単に抽選なのですが。
各グループとも第一ポットのチームが抜き出ている感じはぬぐえませんが、グループAオランダチェコグループCスペインウクライナスロヴァキアグループDドイツアイルランドポーランドグループEイングランドスイススロヴェニアグループGロシアスウェーデングループHイタリアクロアチアグループIポルトガルデンマークが入ったのは注目に値するでしょう。

アイルランドは9月7日、グルジアとアウェーで、スコットランドも9月7日、アウェーでドイツと、ウェールズは9月9日、アウェーでアンドラと、北アイルランドは9月7日、アウェーでハンガリーと対戦します。

ワールドカップに出場できなかった分、存分に力を発揮し、本大会に進んでほしいと思います。